最近の研究
最近は地元沖縄の風水の研究も行っております。
まだまだ研究中ですがメインの相術との関連も出てきて面白いです。
〜金良文書より抜書〜
金良翁は那覇市東町に生まれたが、母が7歳で亡くなり親戚を頼って北谷町謝苅へ引っ越す。
父は製材の仕事をしており易と関係なかった。
首里出身の母も無学だったが、どこか女性的な感じのする母方の祖父は漢学の素養がありサンジンソー(三世相)をしていた。
翁は14.5歳からこの母方の祖父について約10年易を学んだ。
祖父からは
「学問をしないと生計を立ててゆけない。」
とよく聞かされたらしい。
22歳の時に引っ越しすると同時に易者の仕事を始める。
子供は3人恵まれ長男にサンジンソーを教えたが結局それで身を立てなかった。
「易の本には支那の歴史が集積されており暗記力と根気がなければとても学び通せないよ。」
「自分の占い方はゼイチク(筮竹、ヒャクバンクジ)を使って観るし、寛永通宝を使って易を立てる事もある。」
「旧暦正月から2.3月にかけてハチウンを観てもらいに客が来る。」
その他、病、結婚、位牌の事で尋ねてくる依頼人もとても多かった。
「自分はまた、家の新築する時の日取りや墓の向き、フンシー(風水)も見る。」
「那覇の貿易商に頼んで香港方面から入手したカラハーイ(羅盤)を使う事もある。」
戦前は久米村に風水組合が沢山あった。
地球全体が一つの大我。
「サンジンソーの同業者にはカミを持っている人もいるが、自分は持たない。ユタとは違ってサンジンソーになる為にウガンジョ周りをした事もない。」
〜抜書以上〜
沖縄には過去、断易が広く使われていた形跡がある。
金良翁以外のサンジンソーの方の蔵書にも
「増刪卜易」の写本が含まれている。
戦前の県立図書館の郷土資料目録中に蔡温の著作として「体断易注釈」が著録されている。
先の戦災によって該書も消失してしまい断言は出来ないものの、蔡温が断易を学んでいた可能性は高い。
支那で風水を学び取った蔡温であれば
必然的に断易も使えると考えるのが自然か。